千葉県の近代産業遺跡
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総覧未掲載
旧千葉県血清研究所
市川市国府台2-6-1
煉瓦2
建築年 明治37年
設計者
施工者
国府台は古くから陸軍と深い関わりがある地区です。明治18年に下士官を養成する機関である陸軍教導団(32年廃止)を皮切りに、
第二次世界大戦までに野砲兵第十四・十五・十六連隊、野戦重砲兵第一・七・十七・十八連隊、独立工兵第二十五連隊が設置
され、広大な錬兵場もありました。国立精神・神経センター国府台病院は、明治5年東京教導団兵学寮病室として創設され、
明治32年国府台衛戊病院、昭和11年国府台陸軍病院、昭和20年国立国府台病院と改称を重ね、現在に至っています。
戦後、広大な軍用地は文教地区として生まれ変わり、和洋女子大、千葉商科大学、県立国府台高校、市川第一中学、官立東京聾唖学校
(→東京教育大学付属聾学校→筑波大学付属聾学校→筑波大学附属聴覚特別支援学校)、千葉県血清研究所、里見公園などに生まれ
変わっています。
写真のレンガ造りの建物ですが、戦後、千葉県血清研究所の施設として使われていましたが、平成14年に研究所が閉鎖され、
その後は使われていません。血清研の30年記念誌には「梁の上に乗せてあった板片に【明治37年之建】と墨書きしてあった」と
記載されています。野砲兵第十六連隊の倉庫か書庫として建てられたものと思われますが詳しい事は不明です。
現在、旧研究所敷地は立入禁止です。
一部のサイトに「発電所として使われた」とありますが誤りです。また、「明治37年建造という県内最古の赤レンガ建造物と認められること」
との記載がありますが、県内最古の赤レンガ建造物は我孫子市にある 中野治房邸の煉瓦塀 です。
(「千葉県の戦争遺跡をあるく」より)
千葉県庁による撮影
以下3枚の写真は2009年9月19日の公開時