千葉県の近代産業遺跡

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東武鉄道野田線野田市駅
野田市野田128
木2
建築年 昭和4年

野田市駅のある東武野田線の歴史は古く、明治41年に就任した当時の千葉県知事 有吉忠一が野田を視察した際、 醤油醸造元の旦那衆から、同地の交通不便の解消を陳情されたのが始まりです。当初は鉄道聯隊の施設・車両を転用する 予定でしたが、軌間が狭く国鉄と貨車が直通出来ない。そこで野田醤油醸造組合が運動して国鉄と同じ軌間で建設されました。 最初の開通は明治44年の柏〜野田町(現在の野田市)間です。その後、大正14年に民間に払い下げられ、北総鉄道野田線 (現在の北総鉄道(2004年北総開発鉄道から社名変更)とはまったく無関係)となり、同年12月に柏〜船橋間が開通。その後、昭和4年野田町〜清水公園間 ・大宮〜粕壁(現在の春日部)間,翌5年粕壁〜清水公園間が開通し、船橋〜大宮間の全線が開通しました。また、電化にも 積極的に取り組み、大宮〜清水公園間は開通時、柏〜清水公園間は昭和4年です。柏〜船橋間の電化は遅く、東武鉄道に合併 後の昭和22年です。また、社名も昭和4年に総武鉄道(明治時代に開通した総武鉄道(現在のJR総武本線)とはまったく無関係) となり、その後、戦時統合により昭和19年に東武鉄道に合併されました。駅名も昭和25年5月3日の市制に伴い野田市駅に 改称されました。
ところで、どうして「野田駅」ではなく「野田市(町)駅」なのかですが、開通当時、国鉄房総線(現在のJR外房線) に野田駅(現在の誉田駅)が存在していたので、混乱を防ぐための措置です。
東京へ向かう路線を環状的に結ぶ野田線は利用客も多く、日中は10分間隔、朝夕は5分間隔で電車が走っています。
さて、野田市駅ですが、開通当初は現在地より約400m西側にありました。昭和4年に清水公園まで延長された時に路線変更 を行い、その時に開設されたものです。旧駅は昭和60年に貨物輸送が廃止されるまで貨物駅として使われました。 (千葉の鉄道一世紀より引用)

東武鉄道野田線野田市駅
東武鉄道野田線野田町駅(昭和10年)
昭和10年の野田町駅(「写真が語る野田の歴史と文化(野田市郷土博物館発行)」より掲載)
東武鉄道野田線旧野田町駅1
昭和50年頃の旧野田町駅1
東武鉄道野田線旧野田町駅2
昭和50年頃の旧野田町駅2
東武鉄道野田線野田市駅
駅の高架化に伴い右半分が解体されてしまいました。(2015.6.29撮影)
東武鉄道野田線野田市駅
完全に解体されてしまいました。
(2018.5撮影の Google Earth より)