千葉県の近代産業遺跡

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総覧未掲載
成田山第一信徒会館(解体)
成田市本町353
RC3
建築年 大正15年
設計者
施工者

この建物は東京成芝電鉄(未成線)の進出拠点として大正15年に建てられました。 当初は蓬莱閣ホテルという名称でしたが、昭和5年に廃業し、その後昭和23年から 29年まで成田日赤病院が使用していました。さらに同年に成田山がこの建物を買い取り、 改装の上、信徒会館として生まれ変わりました。
ところで、東京成芝電鉄ですが大正14年に東京(東平井)〜中山〜鎌ヶ谷〜印旛沼 〜成田〜芝山〜松尾を結ぶ計画で免許申請をしました。当時、東京・成田間はすでに国鉄 と京成が路線を持っていましたが、昭和2年に免許がおりました。発起人の一人に当時の 東武鉄道の社長である根津嘉一郎がいたため、起点を曳舟に変更し、さらに東武浅草駅に 乗り入れる計画でした。昭和2年に成田以遠の免許を成芝急行電鉄に売り渡しましたが、 内紛による書類不備で監督官庁から免許を取り消されてしまい、残った東平井・成田間も 不況と戦争により実現せず昭和15年に免許失効してしまいました。
残念ながら平成16年に解体されてしまいました。


成田山第一信徒会館
昭和初期の蓬莱閣ホテル
昭和初期の蓬莱閣ホテル(右側の建物)
千葉の鉄道一世紀(崙書房)より