千葉県の近代産業遺跡
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総覧掲載No.14052
西洋館倶楽部 国登録有形文化財
市川市新田5-6-21
木造3
建築年 大正15年
設計者・施工 大亀
この建物は東京株式取引所の仲買人(今の証券会社)、丸水渡辺商会社長の渡辺善十郎によって建てられました。この会社は
明治31年(1898年)創業の古い店で、昭和初期の株式取引出来高帳を見ると、杉野喜精氏(山一証券)らと上位を争う大手の仲買人でした。
閑東大震災で深川の家が被災、江戸川を越えた市川に安全な土地を求めたためで、西洋館は日本屋敷の母屋に隣接する応接室として
つくられました。設計・施工は明治・大正の 名大工「大亀」です。
その後、災害時の避難用として空き家になっていたが、昭和10年(1935年)三月、東久邇宮盛厚王殿下が陸軍仕官学校卒業後、
市川の国府台野戦重砲兵第一連隊に赴任され、宿舎に指定されました。井戸水で腸チフスをおこされてはおそれ多いと、水道も市内で
最初に引かれたといわれています。米軍の空襲の時は、邸内に焼夷(しょうい)弾が落ちたが、近所の方々の消火活動で消失を免れ、
不発弾の落ちた傷跡は二階の出窓の縁に今も残っています。現在ではコンサートホールとして使われています。