千葉県の近代産業遺跡

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総覧掲載No.14025
東京大学生産技術研究所千葉実験所事務棟(旧東京大学第二工学部)
千葉市稲毛区弥生町1-8
木2
建築年 昭和17年
設計者
施工者

東京(帝国)大学第二工学部(通称、二工)は、昭和17年4月1日に設立されました。設立が決定した昭和16年当時、日中戦争は泥沼になり、 また、米英との開戦を間近に控え、社会における工学部卒業生の需要が増大し、既存の大学だけでは応じきれなくなり、東京大学に 「もう一つの工学部」という気運が盛り上がりました。当然、設立には軍部の強い要請がありました。第二と言っても、夜間部ではなく 独立した学部です。また、従来からあった本郷の工学部を第一工学部(通称、一工)と改称しました。
入学試験は両学部一緒に行い、大学側は一工か二工かを選択する自由を与えず、両学部の均等が取れるように振り分けました。 校舎も設備も不十分な二工に振り分けられた学生は、かなり落胆したようです。本郷にある銀杏並木やコンクリートの建物もなく、 一面に芋畑が広がるばかりでした。しかし、メーカー出身の若い教職員も多く、伝統にとらわれない自由な気風が次第に生まれていきました。 戦後は一転して"戦犯学部"と呼ばれ、GHQの命令だけでなく、「二つの工学部不要論」や「設立当初の目的の消滅」などにより廃止が 決まりました。最後の学生受け入れは昭和24年で、閉学は昭和26年3月31日です。設立から閉学まで9年間に2,562名が卒業しました。 しかし、その出身者たちが全壊・半壊の工場に散って、技術の再興と新技術開発にチャレンジし、戦後日本の近代化に多大な影響を与えました。 ペンシルロケットに始まるロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士も第二工学部出身です。

二工廃止後の利用方法として、技術系の千葉大学としての独立、東京大学工学部の大学院の施設、理工学研究所(航空研究所の後進)との合併などが 検討されましたが、二工の実情に即して、工学関係の研究所として再スタートすることになり、東京大学生産技術研究所が昭和24年に設立されました。 昭和37年に東京都港区六本木に移転後(平成13年に目黒区駒場に再移転)は、跡地の大部分は千葉大学の新キャンパスとなりましたが、一部は千葉実験所 として活用し、おもに大型実験を行っています。 事務棟裏に残る倉庫は昭和17年の設立時に建てられた旧実験棟です。

撮影するには、事前に許可が必要です。 千葉実験所は、平成29年4月1日をもって、千葉市稲毛区弥生町(生研発祥の地)から千葉県柏市にある東大柏キャンパス内に機能移転しました。

東京大学生産技術研究所千葉実験所事務棟
事務棟
東京大学生産技術研究所千葉実験所倉庫
倉庫(旧実験棟)
二工時代の建物
二工時代の建物(「東京大学第二工学部」講談社より)